割れた窓から、ガラスの破片を取り除く。
ロケット弾が直撃したのか、壁に穴があいている。
床から 10 cm くらいの高さに直径 40 cm 程度の穴だ。
ちょうどいい。
俺は、そこにマットを敷いた。
野営用のマットだ。
床に散乱したコンクリートの破片を片付ける。
内側の壁にも無数の弾痕。
どこかのオフィスだったのだろうが、二度と使われることはあるまい。
今日、ここは俺のオフィスだ。
相棒はこいつ。
ロシア製 SV-98 狙撃銃。
軍の正式ではない。
二〇〇丁ほど、緊急輸入されて、俺達、狙撃部隊用に配布された。
銃はロシア製だが、弾は 7.62 mm NATO 弾。
旧西側諸国に輸出するために改良したようだ。
ロシアも節操がない。
いや、ロシアだけでもない。
小火器しか持たない歩兵部隊で、この壁に穴を開けられるのは、米軍の旧式ロケットランチャー、M72 しかない。
急に我が国に接近してきたアメリカからの大量供与品だ。
ロシア製の小銃 AK47 を持った兵士が、アメリカ製の M72 を肩に担いでいる。
まぁ、それは相手のやつらも似たようなもんだ。
旧式兵器の在庫処分と新型兵器のデモンストレーションには、内紛はうってつけなんだろう。
この街は、街を南北に分断するように国道が東西に走っている。
南が旧市街。
北は新興の住宅街。
ここ数年、カルディア人が多く移ってきた。
新しく自動車工場ができたせいだ。
仕事のある街にはカルディア人が移ってくる。
それが、カルディア連邦の言う民族の融和ということらしい。
同胞のリクアニア人のほとんどは、古くからの街、南側で暮らしている。
我が国、リクアニア共和国の連邦からの分離独立宣言の後、独立に反対したカルディア人の武装勢力がこの街を乗っ取った。
三日間の市街戦の結果、一〇日前に我が軍の勢力下に入ったが、まだ、おせじにも安全とは言いがたい。
戦闘はいたるところで断続的に続いている。
おまけにカルディア正規軍に動員がかかったらしい。
急がなければならないのだが、やっかいな仕事だ。
民間人と武装勢力(やつらは解放軍と名乗っているが……)の区別などできない。
通りには何箇所か検問所が設けられている。
北に住んでいる同胞のリクアニア人のみ、その検問所から南に行ける。
毎日、大量の人と物資が北から南へと移動している。
そんなに移動して、暮らす場所はあるのか?
心配ない。
南では、毎日武装勢力の掃討作戦が行われている。
後一〇日もすれば、南から生きたカルディア人の男はいなくなるだろう。
北の同胞の移動が終われば、それですべて終わる。
北は、街ごと破壊すればいい。
是も非もない、戦争とはそういうものだ。
俺は今、国道沿いの、南側の建物にいる。
この通りを誰も渡らせるな、というのが俺達の受けた命令だ。
通りを自由に行き来されたんじゃ検問所の意味がない。
本来なら、ここに駐留している部隊の仕事だが、軍の精鋭部隊は、カルディアとの戦闘に備えて国境に移動した。
ここにいるのは、第一五二歩兵連隊。
こいつらも一応正規軍には違いないが、急きょ集められた予備役中心の素人集団だ。
彼らには荷が重すぎたが、俺達が来た以上、この道はもう誰も渡れない。
通りの北側にあるビルの陰から、男が顔を出した。
(さっそくお出ましだ)
通りを渡ろうと、きょろきょろ周りをうかがっている。
(そうだ。……出て来い……)
スコープいっぱいに男の顔が広がった。
(来た……)
男は、注意深く周りに目をやり、……小走りに駆けだす。
(昨日までとは違うんだよ)
通りの幅は、歩道を合わせると、40 m を越える。
ターゲットまでの距離は 200 m。
SV-98 の有効射程は 900 m。
俺の記録は、1200 m だ。
一撃で殺しはしない。
狙うのは足か腰。
それも通りの真ん中で……
男が倒れた。
部屋に硝煙のにおいが充満する。
俺は、すぐに次の弾を装填してまた構える。
その間、2 秒とかからない。
何百回と繰り返した作業だ。
男が何かわめいているようだが、聞こえない。
上体を起こして、なんとか元の場所へ這っていこうとしているようだ。
(さぁ、出て来い……仲間を見捨てるのか?)
ビルの陰に三〜四人の男が見え隠れする。
十分に狙えるが、今撃つと、やつらは完全に出てこなくなる。
(出て来い。四人まとまって……でないとそいつをひっぱっていけないぞ)
先頭の男の口が、開いた。
(そうだ。……いいぞ、坊や)
四人はいっせいに飛び出した。
一人はたどり着けない。
通りに飛び出した瞬間に頭が吹き飛んだ。
遅れて、遠くからパーンという乾いた銃声が届く。
駆け寄った三人は、通りの中央で倒れた男の両腕を左右から抱え上げる。
今度は左側の男が倒れた。
残った二人はそれでも、それぞれ倒れた男をひきずっていく。
そしてもう一人が 2 m ほど吹っ飛ぶ。
最後まで残った男は、傷ついた男達を見捨て、背中を向けて逃げ出した。
あと 2 m、その男は背中を突き飛ばされたようにビルの谷間に飛び込んで、二度と起き上がることはなかった。
路上に転がった三人の男達。
貫通銃創。
弾は、完全に男達の体を貫通している。
出血は多いが、頭にも心臓にも肺にも穴は開いていない。
急いで治療すれば、命だけは助かるかもしれない。
それは、死ぬには時間がかかるということでもある。
そしてもう彼らに近寄る者はいない。
どうやら、出血多量で意識を失うまでの命のようだ。
スコアが五つ増えた。
俺は、ダルコ・ブレシッチ。
階級は少尉。
選りすぐりの狙撃兵で構成された狙撃中隊の第三小隊長だ。
小隊は、全部で一二名だが、狙撃という任務の性格上、集団になっていても意味がない。
通常は、三名一組の分隊で行動する。
今もそうだ。
俺のいるここが第三小隊本部。
コールコードは、“イーグルアイ”。
俺は、……目がいいんだ。
「相変わらず、神業ですね」
インカムに俺の分隊の一人、ビェラクの声が入る。
「ビェラク、口を慎め。神は狙撃なんかしないだろう」
「少尉の背中にいる東洋の神様のことですよ」
ビェラクは、俺の背中の刺青のことを言っている。
不動明王という東洋の破壊の神様らしいのだが、詳しいことは知らない。
「これだけ離れて、走ってるやつをヒットできるのは少尉ぐらいのもんですよ」
ビェラクも腕は悪くない。
軍の狙撃競技では、五本の指に入る。
狙撃銃の初速は、思ったほどは速くはない。
弾の速さなら、米軍の M16 など、アサルトライフルの方が速い。
ただ、速ければまっすぐ飛ぶというものでもない。
M16 の 5.56 mm 高速弾は、その名の通り確かに速いが、軽すぎる。
M16 の有効射程は、500 m ということになっているが、実際、300 m を越えると、かなり後落して、ほとんど当たらない。
どこまでも低い弾道で飛んでいく、それが狙撃銃だ。
速くないとはいえ、それでも SV-98 の初速は、音の二倍以上の速さだ。
ターゲットは、空気の引き裂かれる音と自分の骨が砕ける音を同時に聞く。
銃の発射音を耳にするのはその後だ。
それまで生きていればの話だが……
それほどの速さでも、200 m 離れると、弾着するのに 0.3 秒かかる。
たかが 0.3 秒と思うかもしれない。
だが、ジョギング程度の走りでも、0.3 秒あれば、人は 80 cm ほど移動する。
80 cm 先を狙って撃たなければ、当たらない。
突然、走り出した人間の 0.3 秒後の位置を狙うのは、ビェラクの言う通り、もはや人の領域ではないと言っていいかもしれない。
「五発、連続で撃った。……場所を知られたかもしれん。よく、見張ってろ。来るぞ」
「了解」
ビェラクも十分にわかっているだろうが、念を押した。
狙撃位置は、特定しにくい。
特に市街地ではなおさらだ。
発射音が、ビルに反響するので、音の方向がわかりにくい。
ただし、連続して撃つと、発見される可能性は高くなる。
発見されて、接近戦になれば、狙撃もくそもない。
いや、接近戦でなくても、真正面のビルからロケットランチャーでも打ち込まれれば、それまでだ。
狙撃手が建物の上の階にいる場合、逃れるには、その場所に最も近いところを全力で駆け抜けるというのが鉄則だ。
狙撃というと、やたら高いところに上りたがるやつがいる。
五階建てのこのビルの屋上にもいくつか薬莢が転がっていた。
おそらく一五二連隊だろうが……映画の見すぎだ。
上がれば上がるほど、ターゲットが遠くなり、角度がつきすぎて、ヒットポイントが狭まる。
俺のいる三階からでさえも、真下は見えない。
真正面のビルは、その前の歩道までしか見えないのだ。
そこから、ダッシュされたら、とても狙えない。
俺は三階の東の端にいる。
ビェラクは二階の西の端で、俺を狙ってやってくるやつらに備えている。
正面のビルで何かが動いた。
◇
「スアド、本当にあのビルなのか?」
ボヤンは、信じられないという表情でスアドに訊く。
これで二回目だ。
「ああ、間違いない。三階の、あの窓から白煙が見えた」
「こんなに離れて、走ってるやつに当たるものなのか? その後も、一発も外さないなんて……」
「信じられないが、煙が見えたのはあの部屋なんだ。間違いない」
スアドの目は確かだ。
それはボヤンも信じている。
「まぁ、お前が言うんだから、間違いないんだろうけど……。どんなやつなんだ? 化け物だな」
昨日まで、敵の狙撃兵が何人も通りに銃を向けていた。
しかし、狙撃でやられたことはない。
今までに出た死傷者は二人。
通りを横切ろうとしたとき、運悪く、敵の兵士が二人いて、そいつらに撃たれたのだ。
それ以来、念入りに周りを警戒するようになった。
怖いのは、警備の兵士に出くわすことで、誰も狙撃兵にやられるなどとは思ってもいなかった。
それが今日、一瞬にして変わった。
シュタカが撃たれた。
アルミン・シュタカ、最も勇敢で、いつも真っ先に通りを横切る男だった。
まずシュタカが渡り、警備兵がいないことを確かめてから、他の者が後に続いた。
シュタカだけじゃない。
五人を一瞬にして失った。
いや、三人はまだ生きているかもしれないが、助けようがない。
そこにはもう、警備兵が集まって来ていた。
助けられないが、仇はとる。
目の前で仲間が次々に倒れていく中、スアドは必死に音の方向を探り、建物の外にわずかに飛び出す発射煙に目を凝らした。
そして五発目にようやく、狙撃手が潜むビルとその部屋を特定したのだ。
スアドとボヤンは、その正面にある、細長いビルの一階に潜り込んでいた。
「まだ、同じ場所にいるかな?」
ボヤンが、誰に言うともなく呟く。
「さぁ……普通なら移動しているだろう」
「どうする……突っ切るか、ここを……」
「いや、上に狙撃手がいるんだ。下で周りを見張ってるやつがいるだろう」
「じゃぁ……これだ。三階のあの部屋だな」
ボヤンが、ロシア製対戦車ロケット弾 RPG-7(エールペーゲー・スィェーミ)を、肩から下ろした。
このビルの三階から、正面のビルの、狙撃手が潜む部屋に打ち込む気だ。
「行くぞ」
ボヤンは後ろにいる一六歳のケーノに声をかけた。
ケーノは、AK47 に GP30 を取り付けている。
小銃用のグレネードランチャーだ。
建物の中に潜む敵をやるには、RPG-7 よりも有効かもしれない。
スアドは、じっくり周りを見渡す。
今のところ、近くに警備兵の姿は、見当たらない。
撃たれたシュタカ達の現場に集まった警備兵も、ここに気づいている様子はない。
(罠かもしれない……)
すでに警備兵があたりに隠れているかもしれない。
だとしたら、今このビルの階上に行くのはきわめて危険だ。
このビルを囲まれたら、逃げ場はない。
数ではかなわない。
目の前で仲間がやられ、ボヤンは明らかに冷静さを失っている。
ボヤンは、やる気だ。
やるなら、一刻の猶予もない。
警備の兵士が来る前に片付けなければならない。
「もう移動してるかもしれないぞ」
スアドは、どうするべきか決めかねた。
「わかってる。……ここで見張っててくれ」
ボヤンは、イヤホンを耳に差し込むと、スアドの携帯に電話をかけた。
スアドは携帯を通話中にする。
ボヤンとケーノの姿がビルの中に消えた。
◇
「今、正面のビルで何かが動いた」
正確には、動いたような気がしただけだが、確信はある。
「どっちのビルですか?」
もう一人の部下、ボシュコの声だ。
やつは、東隣のビルの三階にいる。
俺のいるビルの正面には、細長いビルが二棟、並んで立っている。
「右だ、東側の、壁がピンクの方だ、何か見えるか?」
「いえ、何も……少尉の部屋を狙ってるんでしょ。窓に近づいたら、一発でしとめますよ」
「狙撃とは限らん。奥から、いきなりロケット弾ってこともある」
「一階に、人影があります」
ビェラクの声が入った。
「武器を持っているか?」
「いえ、確認できません」
「移動する」
気に入った場所だったが、長居は無用だ。
俺は、二部屋隣へと移動した。
◇
「何か見えたか?」
スアドのイヤホンにボヤンの声が入る。
「いや、何も……」
「位置についた」
「……窓に近づくな」
スアドは、わかりきっていることをあらためて伝えた。
「ああ、わかってる……」
ボヤンは、極力窓から離れ、正面のビルの三階に向けて RPG-7 を構えた。
しかし、なにしろ狭いビルだ。
後ろに余裕がない。
RPG-7 は、発射時、後方に大量のガスを噴出する。
ボヤンはケーノに、後ろの窓を開けさせた。
ボヤンの意識は正面の、南の窓だけに集中していた。
後ろの窓を開けたケーノのシルエットが、部屋の東の窓に映った。
◇
「少尉、三階に人影があります」
東隣のビルの三階にいる、ボシュコの声だ。
「狙えるか?」
「もちろん……」
◇
窓ガラスが割れる音と同時に一六歳の少年の体が空中に舞った。
◇
「何……隣か!」
銃声が正面の東隣のビルから聞こえて、スアドは思わず、口走ってしまった。
「隣のビルなんだな」
イヤホンからボヤンの声が聞こえた。
「ボヤン、無事か……」
スアドはほっとして、声をかけた。
「ケーノがやられた」
「ケーノが……」
スアドの脳裏に、仲間内で最も若く、いつもにこにこしていたケーノの顔が浮かんだ。
(……だめだ……)
スアドは、一瞬、ケーノのことに気をとられ、ボヤンへの指示が遅れた。
今の狙撃は、正面の東隣のビルからだが、最初の狙撃手が移動したとは限らない。
別の狙撃手なのかもしれない。
狙撃手は複数いるのかもしれないのだ。
「ボヤン、やめろ。降りて来い。出直すぞ」
ボヤンの返事はない。
「ボヤン、やめろ」
遅れた時間を取り戻そうとするように、スアドは大声で叫んだ。
ボヤンは、“隣か”というスアドの声で、狙撃手が正面のビルからその隣のビルに移動したと思い込んだ。
「野郎……いい気になるんじゃねぇ……」
窓から離れていては、正面の東隣のビルは狙えない。
ボヤンは、RPG-7 を肩に担いだまま、窓際に走り、すばやく構えた。
イヤホンは外れている。
気が散るのでボヤンは射撃時には、イヤホンを外す。
照準器に、ターゲットの窓が広がった。
「地獄に落ちろ!」
◇
「ボシュコ、銃を置いて、すぐに移動しろ、急げ!」
一人じゃない。
ボシュコがしとめたやつ以外にもまだいる。
「了解」
俺の勘だ。
建物で、二度、何かが動いたような気がしたのだ。
(……来た…… RPG-7 か……)
正面の窓際に、RPG-7 を担いだ男が現れ、ボシュコのいるビルへ向け、発射の構えをとった。
(速い。……たいしたもんだが、……)
わずかな差だが、俺の方が速かった。
スコープの中で男の頭が砕け散った。
(相手は、自分の都合に合わせちゃくれないんだよ)
それでも男は、引き金を引いたのだろう。
大きな発射音と大量の後方噴射(バックブラスト)を残してロケット弾が、澄み切った青空に向かって白煙を残しながら虚しく飛んでいった。
RPG-7、発射すれば、大量の後方噴射のために、たちまち相手に位置を知られ、反撃される。
兵士達は、これをスーサイドウェポン(suicide weapon、自殺兵器)という別名で呼ぶ。
◇
「ボヤン……」
スアドは、二発目の銃声と、空高く飛んでいったロケット弾を見ながら、すべてを悟った。
「すまん……。俺が……」
スアドは、こうなることも十分考えられたのに、ボヤンを止めなかったことを後悔した。
しかし、いつまでも悔やんでいるわけにはいかない。
警備の兵士が来るに違いない。
(仇は、必ず……)
スアドは、建物のあいだを縫うように消えていった。