「おかあさん」そして「血脈」

赤松 亜美



 私には、今でも宝物のように大事にしている本がある。
 それは幼い頃、父から譲り受けた故サトウハチロー氏の「おかあさん」という三冊の詩集だ。この詩集には本のタイトルそのままに、ハチロー氏が「おかあさん」の詩ばかりを綴っているのだが、どの詩もリズムがあり、表現がとても豊かで、愛情ややさしさにあふれている。子供の頃の私はよく部屋の片隅に座って、この「おかあさん」の詩集を何度も何度も読み返したものである。
「おかあさん」……。
 ページをめくって読む度に、それはまるで、ポカポカのお日様の下、縁側で足を投げ出し、気持ちよーくひなたぼっこをしている時のように、暖かい言葉が私を包み込み、やさしい気持ちでいっぱいになれた本だった。
 詩集の付録にも書かれてある、昭和三三年九月から昭和三八年七月までの六年間、全国ネットのテレビドラマ「おかあさん」が放送され、ハチロー氏の詩はこのドラマの中で使用されていたらしい。まだ私が生まれる前の事である。ドラマの再放送があったのかどうかはよく知らないものの、私はこのテレビドラマを一度も目にする事はなく、「おかあさん」の詩の中から、甘く、暖かい、やさしいハチロー氏をたっぷりと思い描いていた。

 その後、もう何年も前の話になるのだが、私はたまたま一冊の文藝春秋の別冊を手にした事で、ハチロー氏の衝撃的な事実を知る事となった。それは女流作家・佐藤愛子氏の「血脈」の連載だった。佐藤愛子氏はハチロー氏の妹にあたり、本の中には、佐藤家の人々が歩んだ激しく壮絶な人生が書かれてあった。本との出会いはまさに不思議なものである。幼い頃に出会った三冊の詩集が私の気持ちに深く潜り込んだと思ったら、この年になって、それを強くうち砕く本にも巡り会うのだから。まるで、ずっと封印されていたパンドラの箱を偶然開けてしまったかのように……。

「血脈」というパンドラの箱。
 誰しもが、それぞれの人生ドラマを抱えているとしても、佐藤家の人々のように、荒ぶれた生涯を送った一族は珍しいのかもしれない。父・佐藤紅緑氏と兄・サトウハチロー氏の名誉と栄光の影には、彼らと彼らの家族の激しい性格と壮絶な生き様があるのだから。この本に巡り会った事で私自身は多くの事を問いかけられ、多くの事実を知る事になったが、私は読み続けながら、常に自問自答し、エネルギーをたっぷり吸われ、時には涙や笑いでいっぱいになった。

「おかあさん」そして「血脈」。
 このふたつの作品との出会いに、私は不思議な縁を感じている。そしてこれらの本に出会えた事を今ではとても大切に思いたい。

「血脈」を読んで衝撃的な真実を知ってしまっても、激しいハチロー氏の裏側には、どこか愉快であったかいハチロー氏や、たっぷりやさしいハチロー氏、そして子供のように淋しがりやのハチロー氏がちょこんと顔を覗かせる。

 私の中の永遠のサトウハチロー氏。

 私はサトウハチローに会いたくなる度に、宝物のこの本をめくる事であろう。

2003/06/01



(C) Ami Akamatsu 2003

渡部書店